鼻出しマスク棋士日浦市郎さんの記事でも触れた元・天才美人棋士林葉直子さん。

美人棋士としてメディアや将棋界で大人気だった林葉さんですが、波乱に満ちた人生を送られています。
今回はそんな林葉さんの壮絶なエピソードをご紹介します。
女流棋士としての歩み

奨励会入会まで
林葉さんは福岡県福岡市に生まれ、5歳の時に父親から将棋を教わりました。
そして、小学6年生のときに女流アマ名人戦に優勝するなど頭角を現します。
その後、史上2人目となる女性奨励会員となりました。
奨励会には1979年から1984年まで在籍し、6級で退会しています。
林葉棋士の師匠は米長邦雄さん
林葉さんは米長邦雄さんに師事しています。
ちなみに、米長さんは永世棋聖の称号を持ち、2005年から2012年まで日本将棋連盟の会長を務めた人物です。
女流棋士としての実績と退会まで
棋士としての実績では、1982年から1991年まで女流王将を10連覇しています。
その功績が認められ、1991年に女流棋士として初めてのクイーン称号「クイーン王将」を贈られています。
個人的にはクイーンというのが将棋と合わないというか、どうかなって思いますが…
その後、1994年5月29日に「心身ともに疲労を感じ極限状態にある」として日本将棋連盟理事会に休養願いを出し、失踪したとされます。
実際は海外で休養していただけで、本人の知らないところで失踪騒ぎになっていただけのようです。
ただ、その後日本将棋連盟理事会との関係が悪化したこと、また復帰後も休養前のような結果を残せず
翌1995年に日本将棋連盟理事会あて退会届を提出し将棋界を去りました。
棋士以外の活動
作家として

林葉さんは、将棋界に在籍している間に将棋雑誌「近代将棋」での執筆活動をはじめティーンズノベルやエッセイなどの執筆も行っています。
棋士を引退した後の2004年には、将棋をテーマとした漫画『しおんの王』(月刊アフタヌーン連載。ペンネームは「かとりまさる」)の原作を行っています。この漫画は4年間連載が続き、アニメやゲーム化もされるなど人気作品となりました。
モデルとして
美人棋士として人気のあった林葉さんはCMでも出演をしています。また、1995年には将棋連盟退会と同時期にヘアヌード写真集『CONFESSION 告白』を出し、大ヒットを記録しています。
続いて1998年には『SCANDAL』、2001年に『罰 NAOKO HAYASHIBA』を出すなど、モデルとしても人気があったようです。
飲食店経営者として
『しおんの王』の連載を始めた2004年には、六本木で「Woo Curry」というインド料理店を経営しましたが、こちらは残念ながら1年半で閉店しています。
占い師として
後述する肝硬変の治療後はタロット占い師として活動しています。
林葉さんをめぐる波乱のエピソード
ここからは、棋士・エッセイスト・タレントに飲食店経営と精力的な活動をした林葉さんをめぐる波乱に満ちたエピソードをご紹介します。
不倫の告白
林葉さんは1998年、1992年から続いていた中原誠との不倫を告白してワイドショーの話題となります。
自己破産
林葉さんは、棋士時代から父親に貯金通帳と印鑑を預けていました。
ところが父親の金遣いが荒く、車を買ったり女遊びで散財してしまいます。
あげく勝手に林葉さん名義で1億円以上の家を建てられ、父の死後には1億円の借金を背負うこととなりました。その結果、2006年には自己破産を申告しています。
余命1年の宣告
2014年には肝硬変が発覚し、余命1年と宣告されてしまいます。
ご本人によると「一週間くらいで妊婦さんみたいにお腹が腫れちゃって。足も紫色になっちゃった」とのこと。
余命宣告を受け、大好きだったお酒を断ち、塩分も控えて健康を取り戻した林葉さんはその後、病状も回復しています(林葉さんのブログ)ことしも新年の挨拶をしており、元気を取り戻されているようです。
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